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臨む

この10年、SNSのメッセージで海外からひっきりなしに質問がくる。

 

「どうやったらあなたのような滑らかな仕上がりにできるのですか?どんな羊毛を使ってますか?何か工具を使ってますか?」

 

 

あー、まただ……と嫌になるけど、良く観てくれているんだな、と思い

大体は返信するようにしている。

 

 

 

私は特別なものは何一つ使っていない。

みんなが普通に使っているウールと手だけ。

 

それだけなのだ。

 

 

では、どうして?滑らかな仕上がりになるのか?

 

 

それは、羊毛を丁寧に丁寧に扱うこと。

対話しながら耳を傾け向き合うこと。

不思議なことに羊毛は想いに応えてくれるのだ。

 

一本一本の羊の毛、

お湯をかけてキューティクルを開かせた毛に摩擦と振動を与えて縮絨させる。

一本一本が縮み、互いに絡み合い、一枚の布になっていくのだ。

 

滑らかな表情になるという事は即ち厚みが均一で、縮絨も均一にかけられているということ。

 

平面ならば機械で作ることは可能だが、立体においては手作業以外に方法はない。

 

 

 

それには隅々まで手を抜かず気を配り、

起きた現象を受け入れながら考える。

惜しみなく時間をかける。

決して先を急がない。

 

 

それだけだ。

 

 

そして、フェルト作りは油絵のように後戻りができない。

継ぎ足しもできない。

少しでもフェルト化した羊毛に新しい羊毛を乗せて擦っても、

もう絡むことはない。

物理的にやり直しができないのだ。

失敗したらそこで終了。

 

 

だからやり始めにはとてもとても神経を使うことになる。

加えて、羊毛は縮絨すると半分近く縮むので、それを踏まえて

最初に全て計画しないといけない。

 

 

 

羊毛を型紙に並べるだけで10時間を要するのは普通のことなのだ。

しかも乗せている作業は途中でやめられない。

羊毛を型に乗せ終わり、しばらく擦らないと放置できない。

乗せている途中段階で乾いてしまうと、ふわふわの綿状になり収集がつかなくなってしまう。

 

 

 

 

羊毛と向き合うこと。

そこにあるのは溢れんばかりの愛情と

湯水のようにかける手間暇

 

 

それだけだ。

 

 

人との付き合いも同じだと思う。

都合よく雑に付き合う相手や

方々にいい顔する人には愛情は注げない。

こっちにも届かない。

 

 

 

中途半端な愛情は要らない。

中途半端な作品は作る意味すらない。

 

 

 

その実、私にとって一番大切なのは制作に取り掛かる前の時間なのだ。

表現媒体はいわばその時間を憑依させるべく選んだ物であるに過ぎず

言ってみれば何でも構わない。

長い制作期間の途中からは、目の前の作品では無く次に向かう作品について

考える時間になっている。

 

 

鑑賞者と作家に想い、解釈の差異があるのは当然なことで

そこは敢えて気に留めることは無い。

 

 

 

自分らしく生きる、よく耳にする言葉だけど

ありのままの自分と向き合えば自然とできることではないでしょうか?

他者にどう思われるかなんて、そんなこと気にするほどみんな他人のことを

きちんと見てないよね。

 

 

幸せとは具現化された物ではなく、本人の感じる単なる想いに過ぎません。

 

 

アートはその言葉にできない各々の想いに少しでも寄り添い

日常の中に特別な時間をお届けできるものであると信じています。

 

 

それを作品によって伝え、皆さんと共有出来れば最高ね。

 

 

 

 

 

 

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